森の今昔物語

森のある暮らしのすすめ森の手入れ 2013.04. 8

「おじいさんは山へしば刈りに、おばあさんは川へ洗濯に。」というフレーズは、

日本の昔話でよく出てくる一節です。

しかしこの「しば刈り」とは何のことなのか、お話を聞いている子供だけでなく、

読んでいる大人の方も、いまいちピンと来ていないのではないでしょうか?

 

実はこの一節は、里山の中から恵みをもらっていた時代の名残なのです。

今回は人の暮らしを支えた森「雑木林」の今昔物語をご紹介しましょう。

 

 

「しば」とはなんぞや?

 

そもそも昔話に出てくる「しば」とは、サッカースタジアム等で見かける「芝生」を表すものではありません。

 

130220_003.jpg こっちじゃなく、、、。

 

こっち。

切り株からピョコっと出ているのが、おじいさんが刈っていた「柴」です。

木の切り株から出てきた若木のことを「柴(しば)」と言うんですね。

 

130220_002.jpg

なぜおじいさんが山へ柴刈りに行ったのか、その説明は後ほど。 

 

ちなみに「柴」は別名、「萌芽枝(ほうがし)」とも「蘖(ひこばえ)」とも呼ばれます。

太い幹を祖に、細い幹は「孫(ひこ)」という見立てから付けられたようです。

 

130220_005.jpg 倒れた幹からも「ひこばえ」が伸びることがあります。植物の生命力の強さを感じますね。

 

 

雑木林の今昔物語

 

里山にある雑木林は、里の中だけの需要を満たすために生みだされた場所ではありません。

東京の周辺に残る雑木林の多くは、かつて100万人都市とも言われた江戸に暮らす人たちの燃料となるよう、

炭に適した樹種(代表的なものでは「コナラ」や「クヌギ」)を植林した人工的な森です。

 

130220_004.jpg

(左)復元された炭焼き小屋(右)しいたけのホダ木も置かれている/どちらも(仮称)南近隣公園

 

クヌギやコナラは元々、山に自生していた木ですが、

薪炭用、しいたけのホダ木、土木の材として積極的に植林が進められた結果、

自生するよりもさらに広範囲に分布が広がりました。

 

雑木は炭の材料として用いられるため、最初からあまり大きくは育てず、

切り株から出てくる新芽を育て、もっと薪にしやすい大きさの幹を複数得られるようにしていました。

これは「萌芽更新」と呼ばれる手法で、切り株から出てきた柴は3~5本程度まで間引き、成長させます。

ハイ、ここでようやく冒頭の昔話のおじいさんの「しば刈り」につながります。

つまり、「おじいさんは山へしば刈りに」というのは、この間引きの作業を指していると思われるのです。

(全然、芝生と関係ないですね。)

 

130220_001.jpg多摩ニュータウン東山の周辺に残る雑木林。細い幹が複数本伸びているのは、雑木林として利用されていた証。 

 

 

伐採のサイクルはだいたい10~15年で循環させ、常に新しい材が供給できるよう、

小さな芽にも日が当たるように、株の周りの下草を刈りますし、

クヌギやコナラは落葉樹なので、秋頃から落ちる葉はすべて集めて、腐葉土として活用していました。

 

こうして人の手が入ることで、林床(りんしょう)にも光が届き、欝閉した森の中では芽吹くことのできない

山野草が生え、里山にある湧水や小川、田んぼなどの環境とつながり、

様々な植物や生物が生息する、独自の生態系が育まれるようになったのです。

 

130220_008.jpg明るい林床に咲くチゴユリ。

雑木林に人の手が入らない状態が続けば、こんなにきれいな花も姿を消してしまいます。

 

 

しかし燃料が炭や薪から、灯油やガス、電気といったもっと使いやすいものへ移行したことから、

この雑木林への手入れは自然となくなっていきました。

かつて農村で行われていた雑木林の手入れは、経済的な需要があったからこそ

成り立っていたものだったので、その強い動機が失われた今となっては、

経済性を理由に手入れする必要がなくなってしまったのです。

 

里山の雑木林は、薪炭林とも呼ばれた二次林です。

しかし江戸時代以降の数百年をかけて、ゆっくりと育まれてきた里山ならではの生態系があります。

 

130220_006.jpg 

雑木林と田んぼ、小川等、里山全体で育まれていた生態系は、

今失ってしまえば、2度と取り戻せない大切な命を無数に抱えています。 

 

都市化が進む現代社会において、自然と人は相対するもののように捉えられがちですが、

人が自然の営みを上手に利用できるような知恵を持ち、

自然のリズムに合わせるよう気長に物事を進めることができれば、

やがて両者の歩調があい、お互いに支えあっていける環境を育むことができる。

 

里山の中には、自然と人の理想的な関係性が確かにあったことの証が、わずかながら残されています。

里山の物語が昔話として語り継がれるだけでなく、これから先の未来の物語としてどう語られるかは、

都市に暮らす私たち一人ひとりの肩にこそかかっていると言えるのではないでしょうか。

 

だからといって、一人ひとりが里山の環境に対して「義務」や「責任感」を持つ必要はなく、

「楽しみ」や「憩い」の場として失いたくないな

美しい風景を残したいな、といったシンプルな気持ちこそが、

里山と人との間をつなぐ、強くて新しい絆になるように感じています。

 

もっとそんな気持ちになる人が増えていって欲しい。

森+LABOはそんな希望を持って、これからも情報を発信していきます!!

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