コノ蝉東京ニ多シ

森+LABO 2013.08.27

こんにちは、森+LABOです。


夏の森に行くと、セミの大合唱を聞くことがあります。
でもそのセミには色んな種類がいるということや、
セミによって生息する環境が違っているということは、あまり知られていません。

今回は夏の風物詩とも言える、この「セミ」と「森」についてLABOします。


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森に響くセミの声。よーく聞くと街中で聞こえる鳴き声と違っています。


セミと言えば、虫捕りの代表種。
特に理由もなく捕まえたことのある人も多いのではないでしょうか?

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東京あたりでよく聴こえるのが、「ミーンミンミンミンミー」と鳴く「ミンミンゼミ」。


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「ジ―」とか「ジュワジュワジュワ」と聴こえる「アブラゼミ」(写真)。
街路樹や公園で木にたかっているのをよく見かけます。
日本ではポピュラーですが、実は羽が透明ではないセミは世界的に見ても珍しいのです。


「チー」と鳴く「ニイニイゼミ」。こちらはあまり見られなくなっています。



さて、東京周辺で、森のセミと言えばヒグラシ。
カナカナカナカ、という声を聞くと夏の夕暮れを連想させます。

ヒグラシは夕方、日中よりも気温が低くなった頃になくセミなので、その名の通り夕暮れ時の木立の中から聞こえてきます。
でもこれはその時間帯に人が起きている人が多いから「夕方に鳴くセミ」と認識されているだけで、夜明け前の涼しい時間帯にも鳴いているんですね。

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少し緑がかった色をしている「ヒグラシ」(写真)。
一回鳴くごとに位置をちょっとずつ移動するという一見面白い性質を持っています。


このヒグラシですが、アブラゼミやミンミンゼミと違って、街中で鳴き声を聞くことはほとんどありません。
彼らは広葉樹林や杉や松の大木を好むので、そういった環境がない場所では生息できないためです。
好き嫌いでいえば、特に薄暗い針葉樹の林が好きなようで、先日、川崎にある生田緑地のメタセコイヤの木立でヒグラシの大合唱を聞きました。


「都市の昆虫誌/長谷川 仁 編」という本の中では、「江戸武家屋敷育ちのセミたち/長谷川 仁 著」と題して、
都市におけるセミの生態が、都市の環境の変化と深く結びついていることが記されています。

ヒグラシに関わる部分だけを要約しますと、こんな感じでしょうか。

昔の記録、古くは江戸時代(記録は1815(文化12)年〜1820(文政3年)の間)に
村田了阿によって書かれた「花鳥日記」よると、江戸市中で聞くことのできたセミの鳴き声が6種類、記録されています。
(具体的にあげると、ヒグラシの他には、ハルゼミ(マツムシ)、ミンミンゼミ、ツクツクホーシ、アブラゼミ等。)

その後、1873(明治6)年に記録された別の資料、日本産物志武蔵の部に出てくるヒグラシの図では、「コノ蝉東京ニ多シ」とあります。
しかし大正から昭和に入ってから増えた下町の工場の煙害によって、ヒグラシが好んでいたスギやヒノキの大木が枯れてしまい、
環境の悪化と共にヒグラシは東京23区内で聞かれることのないセミとなってしまったのです。

この本、「都市の昆虫誌/長谷川 仁 編」が発行されたのは昭和63年6月。現在は平成25年8月ですので、約25年前の記述になります。
文末で長谷川氏はこのままヒグラシの声が聞こえない街になってしまったらさびしいものがあると示していますが、
時が経って、いまの東京23区内では、ヒグラシの鳴き声が聞こえる場所がチラホラとあります。
このことから、25年を経てヒグラシの生きていける環境が都内に戻りつつあることが伺えます。


煙に弱かったスギやヒノキの木が25年経って大きく成長できるほど、煙を外に出さない環境配慮型の技術が進んだせいでしょうか。
そもそも人への健康被害を少なくするための工夫が、生き物にとっても良い方向へ進んだようです。


開発の進んだ都会は、いたるところをアスファルトで覆われ、日中の日向での表面温度は60度以上にもなります。
そんな環境の中、冷房設備は必要不可欠なものになり、ビルや車から出る大量の排熱はさらに都会を熱くしています。

ヒートアイランド化は都市の熱だけでなく、生き物にとって重要な影や潤いも奪い去っているのです。

「ヒグラシの鳴き声」は、灼熱化した現代の都会において、潤いのある影空間、こんもりと茂った針葉樹の森が残されていることを示す重要な役割を担っています。


「コノ蝉東京ニ多シ」

20数年経って、今の子供たちが大人になった時に、ヒグラシの声が珍しくなくなるくらい、街の中にも「森」と呼べるような緑が増えていくことを願ってやみません。

きっとそんな東京は、いまよりもっと涼しくて、情緒にあふれた住みやすい街になっていることでしょう。






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