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こんにちは、森+LABOです。

春の森を食す-タケノコ編
タケノコといえば、春を代表する味覚の一つ。
古事記にも記述があるように、日本でも古くから食べられてきた森の恵みです。
今回はこの「タケノコ」について、LABOします。
孟宗竹の竹林とタケノコ
■美味しいタケノコ「孟宗竹」
古くから日本人に親しまれてきたタケノコですが、
現在、食用として流通している大部分のものは「孟宗竹(モウソウチク)」という名前の中国原産のタケノコ。
江戸時代に中国から伝来しました。
それ以前の日本で食べられていたのは、「真竹(マダケ)」や「淡竹(ハチク)」でしたが、
孟宗竹はそれらに比べてアクが少なく、食べやすかったこともあって、食用として広く受け入れられました。
そのせいか、現在の里山の中に残されている竹林のほとんどは、人為的にモウソウチクが植えられており、
食用のタケノコを農作物の一つとして育てていた頃の名残を伺うことができます。
(左)節が2本あるのが「真竹」 (右)節が1本のものが「孟宗竹」
美味しいタケノコは節1本ですよー。
美味しいタケノコと言えば、千島笹(チシマザサ)のタケノコ「根曲竹(ネマガリダケ)」も食用として親しまれてきました。
こちらは笹なので、地上に出てきた新芽をポキポキ手で折って収穫できます。
残念ながらこのチシマザサは東北や北海道の涼しい地域に分布する植物なので、
東山のまわりでお目にはかかれません。
こちらも春の森を代表する山菜です。
色々あるタケノコですが、それぞれの旬は種類によって少しずつずれています。
孟宗竹なら3月中旬から5月頃。
それに続き、破竹、真竹、根曲竹が5月~6月ごろまでです。
さて、このタケノコ。掘って食べるものですが、ことはそんなに単純ではありません。
竹林と上手に付き合うコツが、実は隠されているのです。
■タケノコと竹林
竹はご存知のように、地下茎でつながっている植物です。
木と草の中間のような性質を持っているので、成長が早く、
新芽(タケノコ)を食すこともできますし、もちろんそれを作物として売ることもできます。
農耕用のカゴや箒等、様々な造作物の材料にもなることから、里に近い場所に植林されてきました。
しかし外国、特に中国産の安いタケノコが市場に出回るようになると、
次第に日本の生産農家はタケノコの栽培を止めてしまいました。
つまり竹林に人の手が入らないようになったのです。
結果、竹林の範囲で収まっていた竹の密度が限界に達し、竹が外へと溢れ出てしまいました。
元の竹林の範囲を超えた地下茎は、芽を出すための場所を求めて、
隣にあった雑木林の中にまで地下茎がどんどん伸びていき、
いつの間にか、雑木林全体に竹が繁茂するような状態になってしまいました。
雑木林を覆い尽くした竹林(多摩ニュータウン東山の「はぐくみの森」2010年9月撮影)
こうなると森の中に生えている草木には十分な日照が届かなくなり、
さらには竹が密集したことで風通しも悪くなり、徐々に枯れていきます。
東山の保全緑地でも、こういった状況が多く見られたため、
まちを新しくつくるにあたり、この竹を皆伐していました。
しかし一度竹の上部を切ればそれで芽が出ないかというと、そんなことはありません。
次の春に出た新芽を継続的に抜いていくこと、つまりタケノコを取っていくことが必要なのです。
反対に皆伐した状態で、タケノコを成長させずにいた場合、タケノコ掘りはやがてできなくなります。
竹の新芽(タケノコ)を毎春の楽しみとしたいなら、竹林を管理しながら残していかなくてはなりません。
■森の恵みを享受するために
森の恵みである「タケノコ」を、毎年の春の楽しみとして残すためには、
まずそのための竹林を育てていく必要があります。
竹林が広がらないように、間引きして竹林の中の密度を調整し、新しい芽が生えるスペースを確保します。
よりタケノコの収穫を増やしたいのであれば、12月~1月頃に竹林内に穴を掘って肥料を施します。
間伐も、ただ竹を切ればよいというものではありません。
立ち枯れや幹が黄色くなった古いものを優先的に間伐し、なるべく若い竹を残していきます。
そうすると春には間伐した跡に新芽(タケノコ)が出てきて、竹林が健全に更新されていくのです。
もちろんこんな風に手がかけられる範囲は限られており、それ以外の場所では竹を増やさないように
生えている竹は全て伐採し、積極的にタケノコを掘ってしまいましょう。
かすかに先端が出てきたタケノコを、足の裏の感覚を便りに探します。
タケノコ掘りはまさに宝探しの要素を持った、春の森のアクティビティなのです。
■森の恵み「タケノコ」を食す
掘りたてのタケノコには、アクが少ないので、アク抜きも必要ありません。
なので手間をなるべく減らすためにも、採ったその日に食べてしまいましょう。
皮はタケノコの実を柔らかく保つ成分を持っているので、煮るにしても、焼くにしても、
最初は「皮ごと!」が原則です。
もし大量に収穫したものを保存したい場合は、アク抜きした煮汁につけて保存することができます。
タケノコのアク抜きで代表的なものが、米ぬかを入れて煮るというもの。
米ぬかの代わりに、コメのとぎ汁や生米そのものを一緒に煮るという方法もあります。
ようは加熱することでタケノコのえぐみ成分である「ホモゲンチジン酸」と「シュウ酸」の増加を止め、
水に溶けやすい性質の2つの主成分をタケノコから取り除き、
さらにデンプンでタケノコの表面をコーティングすることで、食した時に水溶性のえぐみを感じにくする等、
時間のたったタケノコでも美味しくいただけるという先人の知恵です。
孟宗竹の原産国・中国では、タケノコのあく抜きは行わず、細かく刻んだり、油や卵と一緒に炒めて、
タケノコの表面をコーティングして、より美味しくいただいているようです。
こちらも中華料理ならではの知恵ですね。
春の恵みを食す「タケノコ編」。
もしあなたの家の近くに孟宗竹の竹林があったなら、「ラッキー★」ということで、
タケノコ掘りができるか聞いてみましょう。
公園であれば、そこの管理を行っている団体が主宰して、
管理活動の一環でタケノコ掘り等のイベントがあるかもしれません。
恵みを享受するためには、タケノコ掘り以外の活動も必要ですが、
まずはその入口として、「春の森の宝探し」を、ぜひ体験してみてはいかがでしょうか。
ただ竹林を眺めるだけでなく、一歩その中に踏み込むことで、
見えてくる世界がもっともっと広がっていくはずです。
[タケノコの食べ方に関する詳しい情報]
NHK あさイチ スゴ技Q「今日から、たけのこの達人」(2012年4月10日放送)
http://www.nhk.or.jp/asaichi/2012/04/10/01.html
森の今昔物語
「おじいさんは山へしば刈りに、おばあさんは川へ洗濯に。」というフレーズは、
日本の昔話でよく出てくる一節です。
しかしこの「しば刈り」とは何のことなのか、お話を聞いている子供だけでなく、
読んでいる大人の方も、いまいちピンと来ていないのではないでしょうか?
実はこの一節は、里山の中から恵みをもらっていた時代の名残なのです。
今回は人の暮らしを支えた森「雑木林」の今昔物語をご紹介しましょう。
「しば」とはなんぞや?
そもそも昔話に出てくる「しば」とは、サッカースタジアム等で見かける「芝生」を表すものではありません。
こっちじゃなく、、、。
こっち。
切り株からピョコっと出ているのが、おじいさんが刈っていた「柴」です。
木の切り株から出てきた若木のことを「柴(しば)」と言うんですね。
なぜおじいさんが山へ柴刈りに行ったのか、その説明は後ほど。
ちなみに「柴」は別名、「萌芽枝(ほうがし)」とも「蘖(ひこばえ)」とも呼ばれます。
太い幹を祖に、細い幹は「孫(ひこ)」という見立てから付けられたようです。
倒れた幹からも「ひこばえ」が伸びることがあります。植物の生命力の強さを感じますね。
雑木林の今昔物語
里山にある雑木林は、里の中だけの需要を満たすために生みだされた場所ではありません。
東京の周辺に残る雑木林の多くは、かつて100万人都市とも言われた江戸に暮らす人たちの燃料となるよう、
炭に適した樹種(代表的なものでは「コナラ」や「クヌギ」)を植林した人工的な森です。
(左)復元された炭焼き小屋(右)しいたけのホダ木も置かれている/どちらも(仮称)南近隣公園
クヌギやコナラは元々、山に自生していた木ですが、
薪炭用、しいたけのホダ木、土木の材として積極的に植林が進められた結果、
自生するよりもさらに広範囲に分布が広がりました。
雑木は炭の材料として用いられるため、最初からあまり大きくは育てず、
切り株から出てくる新芽を育て、もっと薪にしやすい大きさの幹を複数得られるようにしていました。
これは「萌芽更新」と呼ばれる手法で、切り株から出てきた柴は3~5本程度まで間引き、成長させます。
ハイ、ここでようやく冒頭の昔話のおじいさんの「しば刈り」につながります。
つまり、「おじいさんは山へしば刈りに」というのは、この間引きの作業を指していると思われるのです。
(全然、芝生と関係ないですね。)
多摩ニュータウン東山の周辺に残る雑木林。細い幹が複数本伸びているのは、雑木林として利用されていた証。
伐採のサイクルはだいたい10~15年で循環させ、常に新しい材が供給できるよう、
小さな芽にも日が当たるように、株の周りの下草を刈りますし、
クヌギやコナラは落葉樹なので、秋頃から落ちる葉はすべて集めて、腐葉土として活用していました。
こうして人の手が入ることで、林床(りんしょう)にも光が届き、欝閉した森の中では芽吹くことのできない
山野草が生え、里山にある湧水や小川、田んぼなどの環境とつながり、
様々な植物や生物が生息する、独自の生態系が育まれるようになったのです。
明るい林床に咲くチゴユリ。
雑木林に人の手が入らない状態が続けば、こんなにきれいな花も姿を消してしまいます。
しかし燃料が炭や薪から、灯油やガス、電気といったもっと使いやすいものへ移行したことから、
この雑木林への手入れは自然となくなっていきました。
かつて農村で行われていた雑木林の手入れは、経済的な需要があったからこそ
成り立っていたものだったので、その強い動機が失われた今となっては、
経済性を理由に手入れする必要がなくなってしまったのです。
里山の雑木林は、薪炭林とも呼ばれた二次林です。
しかし江戸時代以降の数百年をかけて、ゆっくりと育まれてきた里山ならではの生態系があります。
雑木林と田んぼ、小川等、里山全体で育まれていた生態系は、
今失ってしまえば、2度と取り戻せない大切な命を無数に抱えています。
都市化が進む現代社会において、自然と人は相対するもののように捉えられがちですが、
人が自然の営みを上手に利用できるような知恵を持ち、
自然のリズムに合わせるよう気長に物事を進めることができれば、
やがて両者の歩調があい、お互いに支えあっていける環境を育むことができる。
里山の中には、自然と人の理想的な関係性が確かにあったことの証が、わずかながら残されています。
里山の物語が昔話として語り継がれるだけでなく、これから先の未来の物語としてどう語られるかは、
都市に暮らす私たち一人ひとりの肩にこそかかっていると言えるのではないでしょうか。
だからといって、一人ひとりが里山の環境に対して「義務」や「責任感」を持つ必要はなく、
「楽しみ」や「憩い」の場として失いたくないな
美しい風景を残したいな、といったシンプルな気持ちこそが、
里山と人との間をつなぐ、強くて新しい絆になるように感じています。
もっとそんな気持ちになる人が増えていって欲しい。
森+LABOはそんな希望を持って、これからも情報を発信していきます!!